萬田久子(まんだ ひさこ)さん。
女優としての活躍はもちろん、
美しく洗練された大人の女性として長い間注目されています。
なんと還暦を過ぎた今、そう見えない美貌に称賛の声が寄せられています。
そんな萬田久子さん、どんな生い立ちだったのでしょうか。
まとめていきたいと思います!
萬田久子プロフィール
萬田久子さんのプロフィールはこちら。
* 本名 萬田久子(まんだ ひさこ)|デビュー当時は『万田久子』と記載されることが多かった
* 生年月日 1958年4月13日
* 出身地 大阪府
* 最終学歴 帝塚山学園短期大学卒業
* 所属事務所 グランパパ・プロダクション(2024年11月時点)
* 身長 167cm
萬田久子の生い立ち
生まれた出身地
萬田久子さんが育った地域は大阪府大正区と言われています。
ご実家の特定はできませんでしたが学歴から見て、この範囲にご実家があったことが推測できます。
実はこの地域、大阪24区の一つで区の周囲はすべて河川で囲まれているという珍しい地区になっています。
大正区は工業地帯ということで埋め立て地が多く、人工島になっているので
大阪湾が一望できる場所で生まれ育ちました。
工業地帯ということもあり、大正区は橋梁が沢山あるという特徴がある地域となっています。
実家
萬田久子さんの元々の実家は、愛媛県八幡浜市にあり漁業で生計を立てていたそうです。
そんな中、台風で大被害にあったことが原因で祖父の代に大阪に移りました。
祖父は大正区で印刷業を開業しました。
その後、萬田さんのお父さんが印刷業を引き継いだようです。
実は萬田久子さんのご実家が『精肉店の「肉のマンタ」ではないか?』という噂がネット上で飛び交っていました。この情報が何故生まれたのか不明ですが…
NHK放送の【ファミリーヒストリー】という番組で『萬田家のルーツは現在の愛媛県八幡浜市にあり、漁業とのこと』ということで、「肉のマンタ」は実家ではないのでは?とされています。
お父さんは祖父の印刷業を引き継ぎましたが、お母さんは洋裁の仕事をしていたそうです。
ご主人に負けじとお母さんも洋裁に力を入れて頑張っていたそう。
その頃なんと萬田久子さんの着ていた洋服はすべてお母さんの手作りだったそうです。
そして萬田久子さんもお母さんが作ってくれる洋服には大変満足していたそう。
お母さんは当時の若い女性たちよりも
ファッションのセンスにかけては一歩も二歩も先を進んでいたようです。
そんなお母さんの影響を受けている萬田久子さん。
中学生になった時期から自分のファッションに興味を持つようになったそうです。
萬田久子さんのファッションセンスの良さは幼い頃からの環境、母親譲りかもしれませんね。
そのため、萬田久子さん自身も洋服には興味関心が強く、ファッションも意識が高かったのかもしれませんね!
幼少期・学生時代
家族構成は
父・母・萬田さん・弟の4人家族です。
幼稚園時代、なんと【大阪の健康優良児】に選ばれたことがある萬田久子さん。
健康ですくすく育っていたのではないかと推測できますね!
地元の小学校、中学校、高校へ通っています。
中学校(大正中央中学校)
中学校で萬田さんは理数系と相性が良いようで成績優秀者だったそう。
萬田さんが自分で選んだ部活は体操部。ですが半年で退部しています。
高校(大阪府港高校)
萬田さん、この時期から身だしなみを特に意識するようなったのかもしれません!
それは…ヘアスタイルがバッチリになるまでは登校しなかったという話があります。
高校生の時から意識が高くオシャレな萬田さんでしたが
なんと高校時代の体重は65㎏!
あだ名は「マンブー」と言われていたそうです。
全然想像できませんね!!!
萬田さんがダイエットをしようと決意したきっかけは、このあだ名がきっかけだったかもしれません!
帝塚山短期大学
大学は『帝塚山短期大学』に通っていました。
学生時代の萬田久子さんは将来、フライトアテンダントor美容部員になりたいと思っていたそうです。
高校3年生の時に全日空の入社試験をフライトアテンダント志望で受けますが
英語がの評価が低かったようで不合格になってしまったそうです。
そんな萬田久子さんですが
在学中にミス・ユニバース日本代表に選ばれているんです!
そのまま卒業し芸能界デビューを飾っています。
芸能界デビュー
1978年に帝塚山短期大学卒業し、芸能界デビューをしましたが
その2ヶ月後に父が他界しました。
1979年に萬田久子さんは上京しタレントとして芸能活動をスタートさせました。
その後、CM出演やTV番組のアシスタントを務めるようになり、
1980年に連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』で女優デビューをしています。
翌年、映画『夏の別れ』でヒロインを務めたことによって演技の評価を受け一気に注目を集めました。
女優としての活動では
連続テレビ小説『あさが来た』や『女帝 薫子』『美男ですね』などなど
多くの作品に出演をしています。
歳を重ねてからは
2020年放送のドラマ『七人の秘書』や『ドクターX』などにも出演されています。
現在も女優業だけではなくにバラエティ番組やCM出演など
幅広く活躍している萬田久子さん。
2020年にグランパパプロダクションに所属することを宣言していました。
還暦を迎えた方とは思えない色っぽさとスタイルに
驚いたファンも多かったようです。
事実婚を貫いたパートナー、佐々木力さんが他界して、もうすぐ10年。
コロナ禍中、エステやジムに行けなくても
自宅でヨガやストレッチをし、美への追求は怠らない姿勢がスタイル維持の秘訣なのでしょうか。
デビュー当時と現在のスタイルが変わらない!とは…
萬田久子さん自身の意識の高さが伝わってきますね。
プライベートでは
1987年にニューヨークで一人で出産をしています。当時29歳でした。
未婚の母となります。
お相手はアパレル会社「リンク・セオリー・ジャパン」社長兼CEOの佐々木力さん。
当時、萬田久子さんの人気絶頂であったこと、お相手に家庭があった為、世間ではかなり噂になりました。
以後、佐々木さんは離婚し独身となりましたが、萬田久子さんと入籍することはなく『事実婚』を貫いたそうです。(佐々木さんは2011年8月9日に他界しています)
未婚の母となった時期
芸能人という仕事に違和感を感じていた時期での妊娠、出産だった為
そのまま仕事を辞めてしまおうかと悩んだ時期でもあると語られています。
人気絶頂のタイミングと妊娠。復帰するイメージが付きにくかったのでしょうか。
子育てしながらも芸能界へ復帰していく萬田久子さん。
とても逞しく感じます!!!
2007年には当時49歳でロンドンに語学留学をしています。
お子さんが成人した時期になりますね。タイミングもよく、自分のやりたいことに意識できた時期だったのかもしれませんね。
2024年 萬田久子さんの息子さんもお子さんがいらっしゃるようで
萬田久子さん自身も『おばあちゃん』という立場になっています。
スタイルの良さに年齢を感じさせませんが。。。
まとめ
芸能界デビューをしてから、常に輝き続けている萬田久子さんの生い立ちをまとめてみました。
ファッションセンスの良さは
幼いころから母親が作った洋服を着ていたことから
洋服に対して興味関心が強くあったおかげかもしれませんね。
また、スタイル・美貌の良さを持ち続けるためには
萬田久子さん自身がストイックにこなす努力の賜物なのかもしれません。
還暦を迎えても
まだまだ美貌を放つ萬田久子さん。
今後の活躍も楽しみですね!!!
最後まで
ご覧いただきありがとうございました。