歌手として女優として、そして木版画家として
活躍されているジュディ・オングさん。
歌手デビューした際には数々のヒットを出し、
1979年に『魅せられて』が200万枚の大ヒットになりました。
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
2024年には台北にて、建築家であるお兄さんとコラボし
初の兄妹展として『藝境畫篇O2』を開催しています。
デビュー当初も現在も輝くジュディ・オングさん。
今回はそんなジュディ・オングさんの生い立ちについてまとめてみました。
ジュディ・オングさんの生い立ち
幼少期
ジュディ・オングさんの生まれは台湾の台北市になります。
父親は中国本土出身、母親は台湾人となります。
実は幼少期から多文化的な環境で育ったというジュディ・オングさん。
父親が作家、タレント、プロデューサーの仕事をしていたことや
家庭環境が芸術的な背景を持っていたようで、絵画や音楽は生活の一部にあるような環境だったそうです。
3歳から日本へ
ジュディ・オングさん、3歳の時に父親の仕事の都合で日本へ初めてきました。
そこから日本での生活がスタートします。
家庭の中では日本語・中国語に親しみながら生活していました。
小学校
小学校は日本にある、東京中華学校に入学しています。
小学校では中国語の標準である、北京語を学んでいたようです。
また、日本で生活しているので日本語は必然と触れ、学ぶことができ、
また家庭教師にもついてもらいながら北京語や英語も学んでいたそうです。
ですが・・・
5年生の時に代々木インターナショナルスクール転校をしています。
(代々木インターナショナルスクールはこちら 🔽)
中学校・高校
インターナショナルスクールを卒業後は
中学・高校ともにアメリカン・スクール・イン・ジャパンへ入学。
海外へ羽ばたく未来が見えていたかのように外国と関わりが濃い学校、
また英語能力が求められる学校に入学されていますね。素晴らしいです!
大学
大学は上智大学の国際学部に進学されています。
(こちらの大学は現在の外国語学部では偏差値・60となります。)
また専攻はスペイン語に挑戦していたそうです。
そして1972年(ジュディ・オングさんが22歳の時)に日本に帰化しました。
デビューはいつから?
日本に来たのが3歳。
学業に忙しいイメージがありますが・・・
デビューした時期は
なんとジュディオングさん、子役から色々なデビューしているんです。
女優
・女優としては11歳の時に。日米合作映画「大津波」でデビューを果たしました。
その後も映画や国内外のテレビドラマ、舞台などにも多数出演しています。
歌手
・歌手としてのデビューは16歳の時。たくさんのヒットを生み出していましたが、
1979年に「魅せられて」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞しています!
イベントプロデュース
・90年代よりはアジアの子供たちの為にと新たな活動を始めています。
その名も「北京平和音楽祭」!
そしてそこから、チャリティイベントとして「ハートエイド四川」「台湾大地震ハート・エイド」などをプロデュースした経験を持ちます。
木版画家
・25歳から始めていた木版画はプロフェッショナルとなりました!(日展会友、白日会正会員)
デビュー1つ取っても、多彩なジュディ・オングさん。
様々のことを極めていたんですね!!!
『ジュディ』という活動ネームは誰がつけた?
『Judy』”ジュディ”という名前。
実は、この名前をつけたのは小学生の頃、東京中華学校に通っていた際に関わっていた家庭教師さんが付けたのでは?と言われています。
『Judy』と付けてくれたことが嬉しく、気に入ったことから
そのまま活動名にも使っているのではないか?と言われているようです。
まとめ
今回は多彩な才能を持つ、ジュディ・オングさんの生い立ちについてまとめてみました。
幼い頃から、生活環境や語学の変化を経験されてきたジュディ・オングさん。
色々な経験があったからこその、今も活躍し続ける魅力があるのかもしれませんね!
今後も更に輝き続けるジュディ・オングさんを応援したいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。